さんぽ人 放浪記・パリ編1:風邪と共に去りぬ/1990年3月(ベタなタイトルですいません)

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■最初の思い出は「風邪」ひきながらのモンパルナス

 さんぽ人は大学時代、シュルリアリスムに関心を持ち、その流れで1920年代、モデルニスムの時代のパリに、漠然としたあこがれを持つに至りました。しかし、病的ともいえる飛行機嫌い、それにどちらかというと貧乏学生気味だったこともあり、ついぞ若い時分にパリへ出かけることもありませんでした。

 ところが1990年。会社の海外出張(という名の、勤続慰労をかねた旅行)で、ヨーロッパへ行くこととなったのです。時にさんぽ人、30才の早春でした。

 しかし、せっかくのパリでは情けないことに、「ロンドン風邪」をひいてしまい(パリの前に寄ったロンドンで、雨の日、傘もささずにほっつき歩いていたから)、鼻水ジョロジョロ状態。それでも頑張って、ツアーで知り合った某メーカーのインダストリアル・デザイナー氏と一緒に、朝からデファンスへ新凱旋門を見に行ったのですが、ここで薬を買い込んで、慌てて飲む始末。もうヘロヘロに近い。それでも我慢して、凱旋門、エフェル塔にも上ったのですが、また、エフェル塔の上が、寒いのなんのって! ますます風邪がこじれる感じ。

 とうとう、例のインダストリアル・デザイナー氏も、「もうホテル帰って、寝た方がいいよ〜」と言うほど。このままくっついて行くのも迷惑と思い、エフェルから降りた所で、別れることにしました。

「う〜む、タクシーに乗るか・・・」などと考えておりましたが、せっかくここまで来て、それもなんだかなあ。

 泊まっていたのがメリディアン・モンパルナルなので、エフェルからそう遠くはない。とりあえず、タクシーが来るまで歩いてやれ、と思って歩き始めました。

 たまたま止まっているタクシーがいたので、寄っていったら慌てて発車する始末。「何じゃい、あの運チャン、人種差別主義者か?」などと、思わずぼやいたものの、よく考えると、口と鼻にハンカチを当てながら、フラフラ近づいてくるこ汚い男を見たら、そりゃあ、誰でも逃げるかもしらんわなあ。

 とにかく「ええい、それやったらそれでエエ。歩いたるわ!」とさんぽ人は、さらに道を進むのであった。


■何や、ここが、あの・・・

 やがて、歩き始めてから40分ほどした時、モンパルナス駅にたどり着きました。そのまま進行方向にむかって右手に向かえば、ホテルはもうすぐです。ベッドに入って休めるのです。しかし、さんぽ人は、そのままモンパルナス通りを真っ直ぐ進みました。

「この道を、そのまま行けば、ヴァヴァン(Vavin)の交差点に行き着くのではないか」。確信はなかったのですが、出発前によく見ていたパリの地図が頭の片隅に残っていました(何といっても、風邪でしんどいので、その場で地図を見るのも、うっとおしかった)。

 ヴァヴァンは、モンパルナス通りとラスパイユ大通りの交差点。そして20年代のモンパルナスの中心的存在だったのです。

「道、間違えたら戻ったらエエわ」などと考えつつしばらく俯きながら(まだ、しんどかった)歩きました。ちょっとして、顔を上にあげると、目に突然、「La Rotonde」の看板が見えたのです。

「ヒェ〜」そう、さんぽ人は心の中で叫んでしまいました。そのまま、顔をあちらこちらに向けますと「Le Dome」とか「La Cupole」とかの看板も見えるではありませんか。

 ご存じない方は、何のこっちゃわからないと思いますが、これらのお店は、20年代にモンパルナスに集まっていた芸術家たちが、夜な夜なたむろしていたカフェ、レストランなのです。キキ・ド・モンパルナスやら、キスリングやら、さんぽ人の好きなマン・レイやら。それにレオナール藤田、ピカソもいたでしょうし、モディリアニもいた。ヘミングウェイだっていました。

 このようにして、さんぽ人は知らない間に、しかも本人の気分が高揚するヒマもなく、何の自覚もないまま、ヴァヴァンに、長年のあこがれの場所に着いてしまっていたのです。はれぼったい目で、鼻水を垂らしたまま。


■「入れない・・・」小心者のモンパルナス初体験

 風邪ひきながらとはいえ、ここまで来たのだから店に入らない手はない。そう思い、さんぽ人はロトンドかドームか、あこがれの店に入ろうと考えました。それで、2、3度、その前の通りをうろついていたのですが、なぜか、入れない。何か「敷居が高い」気がして、入れない。結局さんぽ人は、ラスパイユ大通りを渡った、向かい側のカフェに腰を落ち着け、ビールをすすりながら、あこがれの店々の外観を眺めていたのでした。

 前日にパリに着いてから、すでに何度か一人でカフェにも入っているのに、なぜか、これらの店には素直に入れない。今もって、理由はよくわからないのですが。

 たぶん察するに、これらパリのどこにでもあるようなカフェ、レストランが、さんぽ人の心の中で、あこがれの場所から大きく成長し、まさに「神聖にして侵すべからず」の場所となってしまっていたのかも。

 さんぽ人は、ビール3本で約1時間、そのカフェでくつろいでいました。いつの間にか、鼻汁もおさまり、熱っぽかった頭も、いくぶん晴れてきました。時計を見れば、午後3時。エフェルを降りたのが1時ごろですから、かれこれ2時間です。ようやくフランス産(?)の風邪薬が効いてきたのかもしれません。

 モンパルナス通りを渡り、ドームの横の小道を抜けて、ホテルの方に向かうことにしました。


■そして、また忘れられないお店へ・・・

「ホテルで寝るのは、まだ早い!」さんぽ人は早速、道草できる店を探し始めましたが、なかなか適当な店が見つからない。しかし、ドームから100メートル近く行った所に、呑み心を掻き立てられる店を見つけました。ガラス張りで中が見えたのですが、カフェというよりバーに近い。でもバーというには、ちょっと薄汚れ過ぎている。でも、それが「らしく」て良い感じ。もちろん、こんな店、日本からの観光客は来そうにない、そんな風情がぷんぷんです。

 怪しげといえば怪しげだけど、小道に面してガラス張りだから、まあ、安心かなあ、みたいな。おまけに、客がまだいない。ヤバそうだったら、そうそうに出ればいいや。さんぽ人は勇んで中に入ったのでした。少し前まで、風邪でヘロヘロしていたのも忘れ。

 一番入口に近いテーブルに腰かけて「ビアー」と一言。「ナンダ、コイツ」というような顔で、一瞬店主はさんぽ人の方を見ましたが、その声を聞いて、早速、ビールを持ってきてくれました。

「メルシ」といってお金をわたすと、彼はニッコリ。ちゃんとお釣りもくれたし、悪い奴じゃなさそう。「なかなか心地よさそうやん!」そう思い、さんぽ人は、その後約1時間半を、この店で過ごすわけですが、この時、奇妙な体験をしました。

 しかし、それはまた「次編」で。とりあえず、本稿はここまで。

   
(C) 1996 Takashi Tanei, office MAY