西成区・てんのじ村、山王

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■スポット解説

 
 一時期、黒岩重吾氏の小説にハマッタことがある。黒岩作品といっても、現在の古代史小説ではなく、昭和30年代の大阪の下町を舞台にして描かれた作品、つまり「西成山王ホテル」とか「飛田ホテル」といった諸短編集に、である。

 まあ、暗いといえばこの上なく暗い小説であるが、そこに描かれるいろんな人間模様には、まさに麻薬のように私を虜にさせる魅力があった。

 もう一つ、好きな小説がある。難波利三氏の直木賞作品「てんのじ村」だ。こちらは、昭和のはじめから昭和の終わりの時代まで、ある漫才師の半生を綴った名作である(終盤はやや安易だが)。

 こちらは、黒岩氏の諸作品ほど暗くない。どちらかというと「面白うて、やがて悲しき」という、大阪人情家庭劇風味である。泣かせる場面も盛り込まれいている(ちなみに「てんのじ村」は、数年前、大村昆・野川由美子主演で舞台化された記憶があるが、大村昆は、主人公に対する私の思い入れからいうと、イメージが違う。私のイメージでは、先代の渋谷天外と岡八郎を足して2で割った感じ。あるいは吉本の井上竜男でもいいかもしれない)。

 この両氏の作品に共通する舞台が、西成の山王辺りだ。黒岩氏のは、先にも述べた通り、旧飛田遊郭やその周辺。難波氏のは、山王の一角にあって芸人達が多く住んでいた場所で、タイトルにもなっている「てんのじ村」。

 当たり前だが、今実際に存在する町は、黒岩作品ほど暗くないし、難波作品のように芸人がたくさんいるわけでもない。いってしまえば、ごく普通の大阪の下町である。だいたい、遊郭も芸人長屋も、過去の話ではある。一応ね。

 だが、「人情的な町」であることには変わりない(人情的な町という表現は、あまりにステロタイプなので、どちらかというと使いたくないけど)。それに、喰いモンが安いのがいい。ある意味で、最も大阪的な下町だといえるだろう。

 しかし今、この町を威圧するように、大阪市大付属病院の巨塔やら高層マンション群が迫ってきている。(たぶん)大阪市の主導で行われている「あべの再開発」によって、東隣の阿倍野区旭町方面が、ここ十数年で、がらっと変わったからだ。

 西成区と阿倍野区は、上町台地が断層状に落ち込んでいる部分を区境としている。そのため、もともと阿倍野区側の方が、数メートルほど標高が高いのだが、ここにさらに高層ビル群が建ったため、非常に圧迫する存在となってしまっている。

 この光景を見て、人を圧迫して成り立つ「開発」を非難することもできよう。しかし私は、開発を全て否定するわけではない。自分自身、下町の中にドカンと建っているマンションに住んでいるので、大きなことをいうつもりもない。確かに住む場所は必要なのだから。

 私は、ただただ、この圧迫感に見惚れるだけだ。凄いと思う。そして、その圧迫感をも、ものともせず地道に暮らしていけるのが人間なのだ、というごく当たり前のことを、今更ながらにして、気づくのである。

 ここはきっと、人間のありようがリアルに伝わる街なのだ。だからこそ、黒岩氏や難波氏の小説が、あれほどの迫力で、読む人に迫って来るのであろう。

 生活のリアルさを体感した後で、阿倍野区側まで歩いてみれば、光景は一挙に変わっていく。再開発途上にある阿倍野側は、広々とした明るい街路に、きれいなマンション群。西成側を振り返れば、細い路地が入り組む商店街が、暗い口を開けている。

 しかし、まだ新しいマンションの1階部分にある店舗街には、あまり客は見受けられなく、閑散としている。撤退したらしい店舗が、いっそう寂しさをかき立てる。周囲が明るい分だけ、寂寥感は増幅されていく。

 一方、西成の雑然とした商店街には、華やかな賑わいこそないけど、暗いアーケードの中から、生臭いほどなまなましい人々の息づかいが聞こえてくるような気もする。

 「人の息づかい」は、計画によって作られるモノではないということが、よくわかる。



■地図とおすすめコース


●てんのじ村の碑

 難波利三さんの小説で有名になった「てんのじ村」は、架空の場所ではなく、実際に、かつて多くの芸人さんが住んだ町でした。ここにあった長屋から飛び立って、全国的な人気者になった芸人さんも数多い。もちろん、一生無名のまま終わった方々は、それ以上に多かったことでしょう。

 その一角は阪神高速松原線によって取り壊されました(このエピソードは、難波さんの小説の中にも描かれている)が、かつての芸人村を偲ぶために石碑が建てられています。

 題字は、漫才の父、秋田實氏の手になるものです。建っている場所が、阪神高速の阿倍野入口横という、ちょっと気づきにくく、しかも立ち止まりにくい場所ですが、しばしこの前で、昔日に思いを馳せてみるのもいいでしょう。
(その前に、難波さんの「てんのじ村」を読んでおくと、もっと感慨深いものがある)

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●飛田本通り商店街

 庶民的な店が並ぶ、しみじみとした商店街。トレンドもんは、ほとんどないけど、それなりにじっくり見て歩きたい通りです。

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●旭通商店街

 その昔、天王寺から飛田へ向かう道筋としてにぎわった通り。天王寺側には、アポロビルがあったり、安価でおいしい居酒屋、焼肉屋が並んでいます。アポロビルから百数十メートルほど西にあるジャズ喫茶「四分休符」は、ちょっと一息つくのに最高。夕方からはバーになります。

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●旧飛田遊郭

 男が一人で歩いていると、扉の影から「オニイチャン、寄ってかへん?」というオバチャンの声。うっかりこの辺りに迷い込んだら、きっとびっくりするでしょう(私がそうでした)。ある目的を持って行くなら、話は別ですが・・・
 町並みというか、ところどころの建物が、異国情緒といえばいいのか、非常に珍しい感じの外観。1軒ごとに扉から顔を出し声をかけるオバチャン達さえ、うっとおしく感じなければ、これらの建物だけを見て回るのもいいかも。
 せめて有名な「百番」で宴会だけでも、しておきたいですね(私は行ったことないけど)。
 ちなみに百番は、旭通りに面した「三丁目百番」と、阿倍野墓地側にある「鯛よし百番」の2店あります。両店の関係はわかりませんが、たぶんことなる経営母体だと思われますが・・・。ご存じの方、ご一報を。

(1997年11月 )

   
(C) 1997 Takashi Tanei, office MAY