都島区・廃線跡を歩く

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■スポット解説

 蛇行して流れていた川を改修したり、埋め立てたりしてできた道を歩く楽しさ、というものについては、別のページですでに述べた(地図でさんぽする・失われた川を求めて)が、その魅力のヒミツは、直線的あるいは直角的なレイアウトが好まれる(?)道路や区画整理された土地の中で、くねくねと曲がった道が、とても新鮮に感じられることにあると思う。

 川以外で、このような楽しみを与えてくれるのは、鉄道の線路だろう。電車の構造上、線路はゆるやかなカーブを描くように曲がっていく。直交する道路群の中に引かれた、ゆるやかなカーブの線路は、一種、「破調の美」といえる風景を見せることがある。

 しかし、当たり前だが現役の線路なんて、危なくて歩けるわけがない(それに軽犯罪法に触れるはずだし)。

 そこで、かつて線路として活用されながら現在はその役目を終え、道路や空き地として生き延びている、いわゆる廃線跡をたどることにする。

 ある書籍には、こう書いてある。「残された空間(廃線跡のこと。引用者注)は、もはや人にとって危険な空間ではなく、自由な空間である。そこを歩く人は、日ごろ街路では経験しないゆるやかなカーブに沿って現れる景観の変化を楽しみ、近所に意外な抜け道があることを知るだろう」(鳴海邦碩・橋爪紳也編著「商都のコスモロジー〜大阪の空間文化」TBSブリタニカ1990年・218ページ)。まさに、その通りである。

 前掲書で取り上げられているのが、京橋駅近辺なのである。確かに、この辺りは今でも廃線跡があちこちに残り、街に面白い表情を与えている。

 まずは京阪本線。1970年(昭和45年)に、天満橋←→関目間を高架複々線にしたが(その時、現在の京橋駅および京阪モールができた)、それ以前は、今の京阪本線と国道1号線の間を、ゆるやかなカーブを描きながら走っていた。この廃線跡は現在、道路として活用されている。

 環状線の外側に行けば、JRの廃線跡が残る。城東貨物線から環状線への連絡線や、かつて桜宮に存在していた貨物専用駅への引き込み線の跡である。

 京阪の跡がしっかり道に変身したのに対し、こちらの方は奇妙な細長い「空き地」のまま置いておかれていたりする。

 そこに草花が植えられていたり(あるいは自生した?)して、街が「いい味」を醸し出す要因となっている。

 バブル崩壊以後、街のあちこちに「虫食い穴」のような空き地や駐車場が目立つようになった。「宴の後」の後遺症として、「投資の対象の成れの果て」として、痛々しいほどの姿をさらしているが、半ば「無用の長物」としてお呼びがかからなかった分、時代の荒波にも揉まれることなく、文字通りの「空き地」のままでいられたのだろう。

 京橋近辺の廃線跡の、このような空き地なら、むしろ大歓迎。思わず「京橋はエエとこだっせ〜」などと鼻歌のひとつもでそうな気分になるのである。


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耳寄り情報!!
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廃線跡について興味を持った人に、ぜひお勧めのホームページがある。大阪府立の高校で教師をなさっているosaruさんが開設されている「高校教師川柳」というホームページの中に、福島区の「三菱製紙浪速工場専用側線」について、詳細に調査・解説されたページがある。併せて、ぜひご覧いただきたい。


■地図とおすすめコース


●京阪本線跡(環状線より西)

 東野田公園辺りから京橋までの旧京阪本線跡は、歩道もたっぷり取られた広い道として再生されています。所々に木々が植えられ、なかなかいい感じ。道の広さの割には、むちゃくちゃ自動車が多いというわけでもなく、なかなか快適なさんぽができそう。

 京橋駅近くまで来ると、コムズガーデンや京阪モールなど、ちょっと一息ついたり食事したりできるお店もいっぱい。

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●●京阪本線跡(環状線より東)

 現在の京阪京橋駅前ロータリの東側にある、環状線をくぐるガード。さほど大きくは思えないガードですが、ここを、かつて京阪本線が走っていたとは!

 ガードをくぐれば、そこは赤い灯、青い灯煌めく京橋の盛り場。線路跡は今やすっかり、盛り場のメインストリートになりました。両側を埋め尽くす飲食店のネオン、看板や、夜になると溢れだす酔客の姿などを見ると、ほんの30年近く前まで、ここが線路だったとは思えないでしょう。

 このまま道なりに進んで、現在の京阪本線の高架と合流する辺りに、かつて京阪蒲生駅がありました。

※閑話休題

 ところでさらに補足すると、京阪本線はもともと、この蒲生から土居までは、現在と違うルートを走っていました。

 1929年(昭和4年)発行の地図を見ると、蒲生から、京街道沿いを北東に進み、現在の京阪本線と国道1号の間(つまり商店街のまん真ん中辺り)を縫って土居の手前で、現在の路線に合流する、というルートです。

 ただ、29年の地図にはすでに、「計画・工事中路線」として現在のルートが描かれており、比較的早い時期に現行ルートに改められたようです。

 現在の地図で、かつてのルートを追ってみましたが、所々に跡地を利用した道が残っているものの、区画整理が行われた場所も多いようですが、一度、線路のなごりを求めて歩いてみたいものです。

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●城東貨物線・環状線連絡線跡(国道1号線脇)

 現京阪本線の高架に沿って国道1号線に出ると、国道の北側に細長い空き地が見えるはず。草が生い茂り、時期があえば、美しい花が咲いています。これが、連絡線跡。

 交通量では大阪でもトップクラスの1号線の脇に、こんな空き地があることさえ不思議ですが、できるならいつまでも、ここまま置いておいて欲しいものです(ちなみに、国道1号よりも、こちらの線路の方が、歴史は古い。今の日本からは考えられない けど、鉄道網の整備に比べ、自動車道路網の整備は、ひどく遅れていた)。

 自動車の波をさほど気にしないなら、しばらく花でも眺めて過ごしますか。

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●城東貨物線・環状線連絡線跡(蒲生2丁目)

 環状線の外周に沿って梅田方面へ向かうと、途中から北西方面へ向かう引き込み線跡があります。これが淀川貨物線。

 JR環状線桜宮駅の北、現在は桜宮リバーシティがある辺りに、かつては淀川貨物駅がありました。当時の関係施設で現存しているのは、日本通運ぐらいでしょうか。

 古い地図で確かめると、貨物駅構内には、大川からの入り江も見受けられ、ここが水上輸送と鉄道輸送のジョイントの役目を果たしていたことがわかります。

(1998年6月)

   
(C) 1998 Takashi Tanei, office MAY