都島区・今様、天の網島

CONTENTS
 
■スポット解説

江戸時代、特に元禄年間、大阪は文学・芸術の一大情報発信都市であった。近松、西鶴など日本文学史を飾るそうそうたる逸材が現れたのである。そのことは、私が今ここで紹介しなくてもみなさんすっかりご存じだろう。それらの「名残」は大阪の街中に今も生きている。

 代表的なものとしては「曾根崎心中」の「曾根崎」。これは現在でもキタの繁華街にその名を残しているし、その一角には「お初天神」がある。近所には「お初天神通」という賑やかな歓楽街もある。

 では、同じく近松の代表作「心中天網島」の「網島」はどうか。「曾根崎」ほどメジャーではないが、、「網島」も現在の町名にもしっかり残っている。場所は都島区。京橋駅の西約500メートルほど。ちょうど太閤園のある辺りがそうである。

 近松「心中天網島」のモデルとなった紙屋治兵衛と遊女小春の心中事件は、この網島にあった大長寺というお寺でのできごとだ。

 明治時代、大長寺の寺域を買い取ったのが、大阪の代表的な実業家であった藤田伝三郎である。現在は太閤園や藤田美術館、市長公館となっている(ちなみに大長寺は現在、東野田交差点から都島区役所の方へ少し行った所に移設されている)。

 ここは京橋と天満橋という人通りの多い街にはさまれていて、しかも南方には大阪城という超メジャーな観光地があるから一種のエアポケットになっているのだろう、都心の割に比較的ひっそりとしている。従って非常に環境がいい。前述の太閤園が網島町の町域のかなりの面積を占めているからだと思うが、緑が多い。

 しかも、北と東が大川、南が京阪電鉄の線路という「遮断物」に囲まれているせいか、自動車がさほど多くないのだ。それも静かな街並みを見せている要因だろう。ただし、一年に一度、人通りが強烈な時がある。天神祭の時だ。いうまでもないが、静かなさんぽをお望みなら、7月25日は絶対避けよう。お祭り好きは当然、ココへ行くべし。大川対岸から打ち上げられる花火が目の前で見られる(でも、本当に人混みはハンパじゃないからね)。

 ここは、近辺に桜宮公園なども控えており、ブラブラ歩きにも適している。歩く距離を気にしなければ、京橋、OAP、OBPといったスポットにも足を伸ばせる。

----------------------------------------------------
 かつて治兵衛と小春がどんな思いでここを選んだのかは知らないけれど、都心の喧噪に邪魔されない現在の街の姿から察して、なんとなく「さもありなん」と思えてしまうのである。


■地図とおすすめコース


●川崎橋

大阪八百八橋というくらいで、大阪にはいろんな橋が架かっていますが、この川崎橋は美しさでベストではないでしょうか。斜張橋ならではの、両岸に向かって優雅に張られた何本ものワイヤ、人工の建造物は時として人間業とは思えない構成美を見せてくれますが、これはその代表でしょう。遠くからながめていたい橋のひとつ。

----------------------------------------------------------------
●太閤園

友人の結婚式などで何度も行ったことがありますが、ゆったりした気分に浸れる場所ですね。夕方からオープンする1階右手奥のバーラウンジが(酒飲みの私としては)好きです。
また、正面左手の駐車場の奥から、純和風の庭園(チャペルのある方ではない)に入れます(と思います。私は前に入ったことがあるんですけど、本当は入ったらアカンかったのでしょうか。また調査しときます)。ここもきれい。

----------------------------------------------------------------
●桜宮公園

もっと脚光をあびてもいい公園だと思うのですが・・・。大川の緩やかな流れを横目に見ながら、本当にゆっくり気楽に歩ける公園です。ポツネンと終日(ひねもす)のたりのたりと過ごすには、ちょうどいい場所。
そういえば、先の「終日のたりのたりかな」の句で有名な与謝蕪村は、この大川の少し上流、毛馬生まれの方です。

----------------------------------------------------------------
●源八橋・OAP

桜宮公園を銀橋を越え、左手に大川、右手に桜宮のホテル街を見ながら進むと源八橋が見えます。昭和の初めまで源八の渡しがあったところ。ここで目の前に偉容を誇るのがOAP。
帝国ホテルを核にショッピング街やオフィスが入っています。出来たばかりホカホカの大阪新名所。

(1997年2月)

   
(C) 1997 Takashi Tanei, office MAY