さんぽ人 放浪記・ロンドン編3:招かれざる客/1990年3月

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■結構、楽しいロンドン歩き

 ツアーは、その日、バスに乗って市内観光の予定でした。しかし、団体行動にうんざりしていたさんぽ人は、例によって一人で早朝から、ブラブラ歩きのさんぽに出かけたのです。

 朝のうちにハイド・パークと、アビーロードのEMIスタジオを見て歩き、昼前はリージェンツ・パークで一服。

 空は、今にも雨が降りそうな鉛色。まだまだ冬の風が吹いておりまして。しかし、それがかえってロンドンらしさを漂わせている。

 さんぽ人はリージェンツ・パークの売店のベンチで茶をすすりながら、思わず「Oh England,my lion heart」などどケイト・ブッシュの歌の一節を口ずさんでいたのです。

 やがて午後。時々小雨がぱらつく中、結構、上機嫌でメリルボンの辺りを徘徊しておりました。雨のせいもあるのでしょうが人通りも少なく、心から気楽なさんぽを満喫していました。

 ちょうどその時、さんぽ人は尿意をもよおしまて、「何かないかいな?」と慌てて地図を広げますと、ほんの近くに有料便所のマーク。さっそく「ここや!」としけこんだわけであります。

 その有料便所は、「なんでこんなものが、ここにあるの?」というような感じで、ほとんど人通りのない小さな道の端に、ポツネンと立っております。とりあえず、コインを投入して、やれやれで用を足したわけです。

 さんぽ人は、非常にさわやかな顔つきで辺りを見回しました。もとより、ロンドンのどこにでもあるような街角、さして特徴もない一帯。しかも人っ子一人、いない。「しょうがないし、ここからオクスフォード・ストリートの方へ出るか」と歩き始めたとたん、百メートルほど先に、こちらに向かって歩道を歩いてくるオバアチャンを発見したのです。



■不思議なリアクション・

 さんぽ人とオバアチャンの距離はどんどん詰まってきます。その時、小雨がぱらつく天気にもかかわらず、さんぽ人は非常にさわやかな気分でしたので、まあ、オバアチャンとすれ違う時に、笑顔の一発でもかまそうか・・・、なんてことを考えていたわけです。

 オバアチャンの年の頃は、70才以上という感じ。ショールのようなものを被り、腰を曲げて、俯きかげんに歩いています。

 やがて、二人の距離は20メートルほどになりました。それまで俯きながら歩いてたオバアチャンは、前から誰かくる気配を感じたようで、顔を上げ、さんぽ人を初めて見たのです。その時です。

 オバアチャンは、さんぽ人を見ると突然、驚いたような顔をして、急に歩道の隅に寄りました。そして、そのまま、猛犬でも避けるように道端の壁際にそって、足早で歩きだすではありませんか。

 やがて二人がすれ違う際、何とオバアチャンは、さんぽ人に向かって手をパンパンと2回ほど打って、そのまま走りさっていってしまったのです。その仕種はよく、外国映画とかテレビドラマで、「あっちへお行き!」なんていう時にする仕種のようでした。

 さんぽ人はすっかり混乱し、しばらくオバアチャンの後ろ姿を見ておりましたが、何か急に意味もなく怖くなって、慌てて人通りの多い道へと向かったのです。


■このような「一期一会」も、あるのか・・・

 賑やかなオクスフォード・ストリートを歩きながら、ずっと考えていました。あのオバアチャンの行動は一体、何だったのだろう?

 「愛する者が、第二次大戦で日本人に殺されたんだろうか」とか「家族が日系企業から解雇されたんだろうか・・・」とか「いやいや、日本人かどうかも、わかっていないかもしれん。単に有色人種を毛嫌いしているのかも」とか、それはそれは、ありとあらゆる理由付けを考えましたが、もとより真相など、わかるはずもない。

 ただ、今まで楽しく能天気に歩いていた中で、急に冷や水をかけられた気分になり、何ともよく表現できませんが、能天気でいることの罪悪感とか恐怖感が生まれたことは、否定できません。しかも、相手がか弱いオバアチャンであるだけに、ショックは結構、大きいものがありました。

 その夜、一緒のツアーの仲間に、この一件を話しますと「どこにでも、ヘンコな奴はおる。気にするな」とか「大阪にも、ヘンなのはいっぱいいるで」と言う。まあ慰めてくれていたのでしょうけど、さんぽ人の心情として、あまり解決にはなっていない。

 「一期一会」とか、「袖触れ合うも多生の縁」とかいいますからね、あのオバアチャンを不快にさせる何かが、さんぽ人にはあったのでしょう。それが何なのか。

 この問いは、たぶんさんぽ人がこれからも外国に行く度に、脳裏についてまわるのでしょう。

   
(C) 1996 Takashi Tanei, office MAY