さんぽ人 放浪記・私はいかにして、「さんぽ人」になったか

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私は、1989年の5月から、翌90年の3月まで、天王寺区の大道(天王寺駅と四天王寺の中間ぐらい。茶臼山の側)に住んでいました。

今にして思えば、この頃が一番、不精でだらけた生活を送っていた頃でありました。しかし、人から見れば不精なくらしも、私にとってはなんだか楽しく、愉快で懐かしい時期でもあります。

今でこそ「大阪市内さんぽガイド」なってやっておりますが、実は、その基礎はこの時代に出来たものです。もともと、交通機関を使うより歩くほうが好きな性格。歩くことを苦にしない方でしたが、ブラブラ歩きの楽しさを知り、めいっぱい楽しむようになったのは、天王寺時代からだと思います。

では、不精な天王寺ぐらしを、懐かしみながらご紹介しながら、私がいかに「さんぽ人」になっていったかをお話ししましょう。


■天王寺時代の休日のくらしぶり

 起床はだいたい、午前9時頃。いつも夜遅いので(仕事の場合が7割、飲んでいて遅くなったのが3割)、ちょっと遅くまで寝ています。ごそごそ起き出して、30分ほどボーっとしたら、歩いて2、3分の悲田院にあるコインランドリーへ行き、溜まりに溜まった洗濯物を処理します。

 洗濯している間、アベチカ(アベノ地下街)に降り、喫茶店で新聞(主にスポーツ紙)を読みながら、コーヒーをすすります。約30分で洗濯終了。

 家に戻って、テレビでサンデープロジェクトを見ます。たいがい朝食は食べません。日曜が雨なら、このまま本なんかを読みながら3時ごろまで過ごし、それから定食屋とか寿司屋(寿司が好物)に行って、ビールを飲みながら遅い昼食を取ります。

 晴れの日はサンデープロジェクトが終わる11時半頃から、そろそろ外出です。


■晴れの日曜は、さんぽにGO!

 あまり場所も決めず、とりあえず外に出ます。マンションの玄関を出てから、右に行くか左に進むかは、全くその日の気分次第。いろんなコースを、ただ黙々と歩き、途中で良さそうな喫茶店(選ぶ目安は、ビールを置いているかいないか)があれば、テキトーに入ってビールをすすります。

 ブラブラ歩きの範囲は、北限は上六、西限は桃谷、東限はナンバ、南限は阿倍野ベルタあたりでしょうか。それ以上に移動したいときは、さすがに鉄道を使います。

 一番よく行ったコースは、谷町筋沿いに北上し、夕陽丘図書館あたりから坂道を下るコース。静かな場所で、ホントに心が安らぎます。

 坂を下りて松屋町筋を越え、そのまま日本橋でんでんタウンへ。といっても、当時はまだパソコンを持っていませんでしたし(購入は91年5月)、ましてや自分がパソコンを使うなど夢にも思っていなかった時なので、もっぱらディスクピアなどのCD屋か書店へ行きます。それから、さらにナンバへ。

 この頃になると時間はすでに、午後2〜3時。そろそろ腹も減る頃です。よく行ったのは、戎橋北詰の「キリンシティ」。ここでビールを飲みながら、おつまみ類を食べます。


■私の場合「さんぽ=いい飲み屋探し」かもね

 書店で買った雑誌とか書籍を読みながら、グビグビとビールをやる日曜の昼下がり。この快楽はなかなか筆舌に尽くしがたいものがあります。でも、戎橋の「キリンシティ」はザワザワしていて、ちょっと落ちつかない。そんな時は、心斎橋交差点辺りまで足を延ばして、3時頃から開店しているバー(今は5時開店になったけど、当時、日航ホテル北の喫茶店、サザンクロス地下の「CABINA」というバーが3時から開いていた)にしけ込みました(当時のCABINAのマスター、世古氏は現在、アメリカ村で「The Argo」というバーをやっておられます)。

 ナンバに行く以外には、日本橋から新世界に入り、ジャンジャン横町の立ち呑みという手もいいですね。ここはどこに入っても安くて気軽に飲めます。

 もし天王寺や阿倍野をブラブラしていたら、入る店は決まってます。まず「明治屋」。本なんかにも紹介されている有名な居酒屋さん。湯豆腐とかおいしい肴があります。ここはちょっと混んでいることが多い。淡々とビールやウィスキーをやるなら、当時、アポロビルの地下2階にあった「パール」というスナック。オジサン客が多くて(という、私もオジサンですが)、店内のテレビではたいてい、競馬かゴルフをやっていましたが、なかなかゆっくりできる店です。あの野茂が近鉄に指名されたドラフト会議の中継を、私はここで見ました。今でもあるのかなあ。これらはだいたい2時、3時から開店していました。

 あまり他のお客さんに干渉されず、本などを読みながらゆっくりするなら、アポロの裏道(アベノ銀座商店街)を少し西に入った所にあるジャズ喫茶「四分休符」(午後2時から開店。午後5時よりパブタイム)ですね。ビールをグビグビ呑み、ジャズを聞きながら好きな本を読むのは最高の気分です。


■夜は夜とて、またお酒(ナンバの場合)

 さて、そうこうしている間に日も暮れてまいりました。ナンバに居れば、夕方6時頃行く店はひとつ。法善寺かいわいにある「貝焼き山吹」。店舗面積は四畳半ほど。カウンターだけで、5〜6人入れば満杯ですが、いろんな貝の料理があって、ホントにいいお店です。近くに浪速座の楽屋口があり、たまに芸人さんが来るようです。私は随分前に、レッツゴー正児師匠に二度ほどお会いしたことがあります。ここで多少、腹ごしらえしたら・・・。

 次は道頓堀のバー「石ノ花」に行きます。知る人ぞ知るバーで、ここで割と夜遅くまで過ごしました。以前はほぼ毎週通っていましたが、店の人がどんどん若手に代替わりしてご無沙汰になってしまいましたね。もう二年ほど行っていません。

 日曜ではなく、土曜日なら「石ノ花」の代わりに畳屋町の「Nadja」。ママの玲子さんとダベリながら、バーボンの水割りなどを呑みます(土曜日なんかは、ほとんど私は不夜城状態なので、Nadjaの後で石ノ花に行き、石ノ花が終わる午前3時ごろから、石ノ花の人と、さらにもう一軒行ったりしたこともあった。今考えると、凄いパワーがあったもんです)。

 通常は、夜9時か10時頃に退散。帰りもテクテク歩きです。主たるコースは千日前を抜けて黒門の方へ。堺筋と松屋町筋の中間あたりの居酒屋で、酒と肴の夜食。で、12〜1時頃に、逢坂を越えて帰宅です。後はシャワーを浴びて睡眠、明日からガンバロウという感じですか。


■夜は夜とて、またお酒(天王寺の場合)

 さて、そうこうしている間に日も暮れてまいりました。天王寺に居れば、夕方6時頃行く店はたいてい、アポロの向かいにあった「ジョーカークラブ」というお店。残念ながら、今はもうありませんが(アコムの無人くんになっている)。結構いっぱい料理メニューがあって、カクテルとかもいっぱいあって(でも、私はカクテルなんか呑まずにビールかバーボン一本槍でしたが)。

 これが土曜日なら、茶臼山のドイツレストラン「ウィリー」で、ビールをグイグイやりながら、ドイツ料理などをバクバク食う、というところですか。で、土曜日はやっぱり不夜城状態なので、「ウィリー」で常連さん達としこたま呑んだ後は、近鉄あべの店裏にあるバー「和幸」へ行ってバーボンを飲みます。そこを出たら、やっぱり最後は「ジョーカークラブ」へ、という道筋でしたね。日曜は、ずっと「ジョーカー」に居続けました。

 「ジョーカー」は11時を過ぎるとカラオケに変身するので、土曜日ならそのままカラオケオヤジ状態に突入、という寸法です。日曜なら、客が少ないので(歌う人がいない)、ビデオなんかを流すわけですけど。 これをやられると、たいてい、逗留時間が長くなる。ある日など(日曜)、もう午後10時を過ぎたのでそろそろ帰ろうと思っていたら、そういう時に限って、黒澤の「七人の侍」とか「用心棒」なんぞを流すもんだから、帰るに帰れなくなって、結局午前様になったりとかね、いろいろありました。でも、今はもう無いのが残念至極です。


■「さんぽ」「さんぽ」と偉そうに言ってますが・・・

 これを読めばわかるとおり、私のそもそもの「さんぽ」とは、行き付けの店と自宅を「点」とすれば、それをつなぐ「線」が「さんぽ」道だったわけですねえ。その間にある街並みとか、飲み屋さんとかを、ひたすら訪ね歩くことが、私の「さんぽ道」だったわけです。私は行き付けの店から店へ移動する時や盛り場から帰宅する時も、できるだけ同じ道を通らないようにしてきました。

 最初の動機は極めて不純です。いつもと違う道を歩けば、違ういい飲み屋さんがあるかもしれない−この思いが全ての最初です。

 酒場を求めてのブラブラ歩きでしたが、その道すがら、いろんな風景をみることが結構、気分転換につながっていたことは、言うまでもありません。ついつい「もうちょっと歩こうか」なぞと考えて、気がつけばキタから天王寺まで歩いていた、ということもありました。

   
(C) 1996 Takashi Tanei, office MAY