CONTENTS
 

■「Le passage」。20数年ぶりの復活です

 さんぽ人は大学時代、同志社大学の新聞学専攻に学び、新聞学研究会(以下、新研と略す)というサークルに所属していた。この新研で、さんぽ人が3回生の時から、研究会そのものの活動と並行して、同級生の北畑義則君という人(今、何をしているのでしょうねえ?)と二人で発行していたコピー刷りの旬刊誌の名前が「Le passage(ル・パサージュ)」であった。

 コピー刷りといっても、当時のコピーとは青焼き刷りのことで、作るのにたいそう苦労したことを覚えている。最高発行部数は、約50。

 「Le passage」という旬刊誌のスローガンは「学術娯楽雑誌」であった。要するに、難しい学術的な話を、わけのわからん執筆者(我々)が、書きたい放題に書く、というのが目的で、結構、面白がられて読まれていたような記憶がある。

 まあ、早い話が、何でもありの雑誌だったのである。ちなみに、創刊号からの、さんぽ人の著作タイトル一覧を(そんなん、いらん! といわれるかしらんが)一応、書き記しておく。

 ●創刊号(80年5月13日)
  ・パサージュ宣言(創刊の辞)
  ・しばしトイレのおはなしを(公衆便所のコミュニケーション論)

 ●第2号(80年5月23日)
  ・メディア論への消極的アプローチ

 ●第3号(80年6月3日)
  ・シンポジウム「今、よみがえる、もうひとつのアメリカ−HAIR」
  ・シンポジウム総括「あ〜あ、ノスタルジィ」
   (当時、ミュージカル「HAIR」の映画が封切りされた)

 ●第4号(80年6月13日)
  ・準日本文化論

 ●第5号(80年6月23日)
  ・Le passageが選ぶ何でもベスト10

 ●第6号(80年9月23日)
  ・複製技術の時代における芸術作品の複製における芸術作品PART1

 ●第7号(80年10月3日)
  ・複製技術の時代における芸術作品の複製における芸術作品PART2
  ・対談WORLD WATCHING北米編

 ●第8号(80年10月13日)
  ・意欲的実験論文「それ」

 ●第9号(80年10月23日)
  ・文学における異化効果とは何か

 ●第10号(80年11月3日)
  ・崩壊へ向かわんとする思考たちへ

 ●第11号(80年11月13日)
  ・書くこと、読むこと、そして感じること

 ●第12号(80年11月23日)
  ・ば(場について)

 ●第13号(80年12月3日)
  ・逃避の美学

 ●第14号(80年12月13日)
  ・なんで今更、と思ったけれど、その・・・やっぱり死んだ人には甘くなってしまって、
   もう充分聞きあきたとは思いますが、一応、もう一回、ビートルズについて
   考えてみましょうか・・・(ジョン・レノン追悼にあたり)

 ●第15号(81年4月23日)
  ・女性ボーカリストの使命

 ●第16号(最終号/81年5月3日)
  ・エレファントマンの帽子

 まあ、1年ちょっとにおよび、我ながらよく書いたものだと思う。

 大学時代の友人が見れば、「懐かしい」と思うか、「何をいまさら」と思うか・・・。まあ、じかに会って聞いてみたいものであるな・・・・・・・・・・・・・。




■パサージュは、「路上の思考」の象徴である

 そもそも「passage」とは何か。それは、さんぽ人が敬愛するパリの街中にある「アーケード付きの遊歩道」のことである。

 ベンヤミンなんかにお詳しい人にはおなじみの名前であろうが、このアーケード付きの遊歩道には、楽しげなお店やカフェがあり、かつてパリに集まった思想家たちは、そこでいろんな思索にふけったそうである。

 道は、いろんな人が通り過ぎ、いろんな出来事が駆け抜けていく。その中で、いろんな思索−−別に高尚なものだけでなく、下世話なものまで−−を重ねることが、人間にとっていかに重要なことかを、みんなよく知るべきだと思う。

 さんぽ人が書いた「Le passage」の創刊の辞には、こうある。

 「自分の思ったことを自分で考えるべきである。それは、時間的にも、空間的にも誰にも左右されず、誰にも支配されるべきではない。ぼくたちは日常という場に思想を持ち込むべきである。

 全てが通り過ぎていく<街路>に、全ての思想の満ちあふれんことを−−。

 と、いうわけで、さんぽ人は、いろんな「思想」に出合うために、今日もさんぽにいそしむのである。

------------------------------------------------------------

■パサージュは、「ボーダーランド」である

 パサージュの重要な点は、それが「アーケード付きの遊歩道」という転にある。

 日本で「アーケード付き」というと、まさに商店街そのものだが、パリ(ロンドンでもそうだけど)ではむしろ、それは建物の中に近い感覚がある。つまり、パサージュとは、屋内のようでもあり屋外のようでもある、一種「ボーダーランド」(by 畑中章宏氏)であるのだ。

 畑中氏によれば、「ボーダーライン」という、一種の人工物で分けられる境界線の周囲には、そのどちらにも属す(あるいは、どちらにも属さない)ものが常にあるという。

 たとえば「国境」という人工物は、国家間の利害によって引かれるわけであるが、そのために切断される民族もいるわけであるし、また、「まっとうな人」と「まとうでない人」という「ボーダーライン」の両側にも、グレーゾーンがあり、そこに暮らす人々がいるわけだ。そういう状態を「ボーダーランド」というらしい(これでいいですか?畑中さん)。

 その説でいけば、まさに「パサージュ」は、屋外と屋内の」「ボーダーランド」に属するわけで、それはひいては「日常」と「非日常」のボーダーランドであることも、意味している。

------------------------------------------------------------

■さんぽ、というボーダーランド

 さんぽは、旅行のような「非日常」的なレジャーではない。

 かといって、日常バリバリのものでもない。いってみれば、とてもあやふやな存在だ。つまり、一種のボーダーランドでもあるといえよう。

 さんぽ人が、さんぽをホームページとして取り上げ、そして「さんぽ論」として取り上げる理由も、そこにある。

 「いつもの考え方から、ちょっと外れてみる」これが、このページの目的である。まるっきり非日常的には外れられない、しかし、ちょっと、あくまでちょっと外れてみる。その思考の面白さを、このページで取り上げて行きたいと思う。

( 1997年6月)

   
(C) 1996-2003 Takashi Tanei, office MAY