地図で「さんぽ」する:失われた「川」を求めて
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■真っ直ぐに流れる大阪の川

 どんな川であろうと、自然のままの状態なら、一直線に流れているものなどありません。あるものは大きく右に左に蛇行し、あるものは、一応、真っ直ぐに流れているようでも、わずかだが左右に振れながら、川筋を作っています。

 地図を見ればわかりますが、大阪市内の特に中小の川には、一直線に流れているものが多い。あるものは「運河」として開削され、あるものはくねくねとした流路が改修されているからです。

 もっと極端なケースもあります。川がすっかり埋め立てられて、消えてしまうこと。

 どちらにせよ大阪市内には、自然のままの川が、ほとんど残っていないといえるでしょう。それを「自然破壊」という見方から批判することもできるだろうけれど、川を一直線に付け替え、コンクリートで護岸することで、私たちの生活が受けた恩恵も大きいのです。

 大阪は、歴史的に水害に悩まされ続けてきたのですから。要は、自然と私たちの生活とのバランスの問題だと思うのですが、どちらも極端に行き過ぎる論調は、ちょっと考えものだという気がします。

 「自然保護」というのは、結局は自然が巻き起こす天災をも受け入れる、ということで、現在の私たちの生活で、それにどこまで耐えられるかという問題があります。人間の暮らし・文化・文明は、最早、「自然ありのまま」から外れた所で動いているのです。

 かといって、「生活環境の保護」とか「防災」とか「文明化」といった美名のもとに行われる各種の「開発」が、日本の場合、多くは単に名目でしかなく、実は利権とメンツだけで「自然破壊」が進められている側面があり(特に田中角栄の「日本列島改造論」以来顕著)、そちらの方が重大問題なわけです。

 だから例えば「ムツゴロウがかいわいそう、死んじゃう。だから止めて」といったエキセントリックな訴えではポイントがズレてしまうようにも思えるのですが・・・・。他に訴えるべきこと、監視すべきこと、やるべきことは山ほどあるはず。

 おっと、話を本題に戻しましょう。


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■川の「痕跡」を探そう

 ところで、川筋を真っ直ぐつけ直したり埋め立てたりしても、旧川筋の痕跡は、至る所に残されています。旧川筋がそのまま道に変身したり、川を埋め立ててできた土地が、そのままひとつの町になったりしていることが多いからです。

ちょっと地図で見てみましょう。

 たとえば、城東区の新喜多東や天王田の辺り(図1)。現在、城東運河や平野川、寝屋川がほぼ真っ直ぐ流れていますが、地図を見れば、放出方面から北西方向の鴫野方面に向けて蛇行している道筋と町域が窺えます。

 この蛇行する道と町域を、さらに南東に、東大阪市や八尾市の地図でたどっていくと、柏原市辺りで、大和川に連なっていくのが、一目でわかるはずです。

 これこそ、既になくなってしまった大和川の本流(堺方面に流す新大和川のつけ替えは18世紀、江戸時代初期に行われました)なのです。

 これ以外にも、地図上を探せばいくらでも見つかります。たとえば福島区大開4丁目の、正蓮寺川と六軒家川の合流点東部には、川が途中まで埋め立てられて、河口だけ入り江のように凹んでいる場所があります(図2)。その先には、入り江のカーブを延長したように道が続いています。

 このような、川が途中でちょん切られたような地形は、此花区、港区、大正区、西成区など、臨海部に比較的よく見られます。

 こんな川の跡の道を辿るのも、一興かもしれません。







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■都市化以前の姿が窺えるかも

 川跡を歩く面白さは、道がくねくねと曲がっていることにあります。大阪は、都心部は東西南北に「通」と「筋」が引かれ、道が比較的整然としています。また、中心部以外でも明治以後に急速に都市化が進んだ地域は、道が碁盤の目状に走っていることが多いわけです。

 そんな町中に突然、「破調の美」的に旧河川のありのままの曲がり具合で、道が入り乱れて(?)来るわけですから、街の表情に変化を加えないわけがない。そして、その表情の変化というものこそ、今はもう消えてしまった、その土地土地の都市化以前の姿の名残りなのです。

 よく、古くからある集落を訪ねると、中央に神社なんかがあって、その周囲を取り巻くように、くねくねと道が走っている、という光景に出くわします。何か、ふと懐かしい感じがする光景で、思わず愉快になるのですが、そんな道を歩く楽しさと共通したものが、川の跡を歩く時にも感じられます。

(1997年9月)


   
(C) 1996-2003 Takashi Tanei, office MAY