地図で「さんぽ」する:大阪市に「フロリダ半島」と「盲腸」があった!?

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■「境」の話しから

 国と国の間に「国境」があるように、都道府県や市区町村にも「境」がある。日本国内で最も一般的なのは自然の境界物だろう。例えば海であり、川であり、山脈であったりする。

 さんぽ人は、母方の実家が奈良県五條市と和歌山県の県境近くにあったので、子供の頃よく、この県境(吉野川に流れ落ちる小さな谷川が、そうだったと思う)の橋の上に立って、「ふたつの県を跨いだで〜!」と喜んでいたのを覚えている(もっとも、この性癖は大人になっても変わっていなくて、30才になっても、ベルリンの壁を跨いだといってはしゃいでいた。詳しくは「よもやま話し/異国さんぽを語る/ベルリンの壁を歩く」で)。

 余談はさておき、大阪市内で自然物が区境になっているのは、まず大川が代表格。北区と都島・中央・西の各区を分けている。あるいは木津川、尻無川…。

 また、上町台地の断層状の「崖」を区境にしているのが、阿倍野と西成といったところか。

 自然の境界物の次は、道であるとか、運河であるとか、「壁」であるとか、人間が人工的に作り出した、一種の「遮蔽物」が境となる。

 これはさすがに、国内の都道府県レベルではないようだが、市区町村レベルでは、そこいらじゅうに見受けられる境である。

 大阪市の区境で見ても、四ツ橋筋は中央と西を。千日前通は東成と生野を。国道25線は生野と東住吉と、といったように数え上げれば限がない。


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■「盲腸」と「フロリダ半島」発見!

 さて、大和川は大阪市と堺市や松原市を分ける市境である。これを「自然物による境」と考えるのは早計だ。なぜなら、現在の大和川は、江戸時代初期に開削された、人工の河川だからである(ちなみに、大川も古代に仁徳天皇の命により開削された、という説がある)。

 大和川がたとえ人工物であろうとも、今や第一級河川にまでなった(しかも、汚さでも国内第一クラスであるが)大きな川であることに変わりはない。境界線としては分かりやすすぎるぐらい、わかりやすい。地図に疎い人でも、南海やJR阪和線でこの川を越えれば、「ああ、堺(松原)市にはいったんだな」(当然、その逆もあるが)ぐらいは思うはずだ(思わないか…)。

 と、安心しきって、もう一度地図をよく見れば、奇妙な「部分」が2ヵ所あることに気づくだろう。あるいは、人によれば奇異に感じるかもしれない。

 もし手元に大阪府の市町村境がわかる地図があれば、もう一度見てもらいたい。本来の感覚からいえば、大和川で明確に区切られているはずの大阪と松原の市境が、「ケッタイ」な状態で、大阪側が松原側に「浸食」している場所がある。1ヵ所は東住吉区の、ちょうど近鉄南大阪線のちょっと西側、行基大橋と高野大橋に挟まれたところに、大和川を越えて、不自然なほど細長く突き出した、大阪市の「一部」があるはずだ。この地形、ちょっと「盲腸」に似ている。そうだ、とりあえずこれを「大阪市の盲腸」と呼ぶことにしよう。

 もうひとつは、平野区。瓜破南と長吉川辺町の一角が食い込んでいいる。地図をよくよく見れば、長吉の方は平野高校の敷地のようだ。こちらの形は、ちょっとカクカクしているが、アメリカのガルフ地方とフロリダ半島に似ていなくもない。よし、ここを「大阪市のフロリダ半島」と呼ぼう。(図1参照)

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■どうして、道一本が…

 「飛び地」というのが、ある。これは、そんなに珍しいものではない。最も大規模な飛び地は、日本地図でもわかる。奈良県と三重県にガッチリと挟まれた、和歌山県の飛び地である。

 もっと小さな飛び地、しかも、町字レベルなら、たぶんあちこちにあるはずだ。本来なら、ひとつの市区町村域というのは、ひとつの「地続き」となっているべきなのだろうが、過去からの慣習や、交通の善し悪し(和歌山の飛び地は、たぶん、隣接している奈良や三重へは、大きな山脈が遮蔽物となっていて、越えて行くのに難儀するのに対し、ちょっと離れた和歌山県へは、川筋を下れば比較的容易に行けるために、和歌山への帰属を地元の人が希望したのだろう。推測だけど)によって、飛び地になってしまったのだと思う。

 だから飛び地では、さんぽ人は何ら驚かない。

 例の「フロリダ半島」の方は、どちらかといえば、元々大阪市と一体だったのが、大和川の付け替えで孤立したような印象。感覚的には、ほとんど「飛び地」的である。それより奇妙なのは、「盲腸」の方だ。

 もう少し縮尺の大きい地図で見てみると、この「盲腸」、途中からどうやら一本の道だけが大阪市域のようだからである(図2参照)。

 あらかじめ、お断わりしておく。さんぽ人は、まだこの「盲腸」に足を踏み入れたことがない。だからあくまで、地図を前にした机上の空論でものを言う。

 仮に、この「盲腸道」の両側に民家があったとする(仮に、といわず、たぶんあるはずだと思うけど)。この民家はそれぞれが、道を挟んだ「お隣りさん」であり、共に松原市民である。が、しかし、両家を隔てるその道は大阪市なのである。ハッキリいって、めちゃめちゃヘン!「民家が道に出したゴミは、どっちが収集に来てくれるねん? 大阪か、松原か!」なんてボヤキ漫才のネタにでもなりそうである。


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■行政の合理性より慣習か? それもまた、よし!

 道一本だけ、違う市域に浸食させるなんてのは、何らかの「慣習」や「前例」とでも考えるしか説明がつかないのだ。そうだとすると、これは非常に愉快な感じになってくる。

 行政というのは、とかく「合理性」とか「効率」を求めたがるものである。その「合理性」とか「効率」が、本当に市民にとって値打ちのあるものなら、誰も文句はいわないだろうが、しばしば、行政側の都合としての「合理性」「効率」にしかなりそうもないから、批判をあびるのである。

 たとえば、先の和歌山の「飛び地」の件。もし仮に、「面としての行政域の集中」を「効率的」だと信じた役人が、「飛び地」の人に「奈良か、三重か、どちらかへの帰属でないと認めない。行政区域は地続き一体であるべし!」などと押しつけると、住民にとっては、かえってえらい迷惑になったりする。和歌山は、「飛び地」となることで住民にとって「合理的」な解決に結びついたが、日本の中の他の場所には、行政からのゴリ押しを飲まざるをえなかった所もあっただろう。

 最悪なのは、地名の改悪である。大阪でも、由緒ある地名が失われ、○○何丁目といった表記に変わって行った所が多い。行政は、住民にとっても「場所がすぐにわかるし合理的」などという説明を行ったが、この場合、由緒や歴史の代わりに得た「合理性」が、それに見合う値打ちがあるかどうか…。結局は、天秤で量った際の軽重の判断なんだが。

 おや? 話が思わぬ方向へ行ってしもうたな。最初は行政批判なんか書くつもりやなかったのに。

 ところで、この「盲腸道」が、どんな慣習から大阪市の帰属になったのかわわからないけど、行政側のゴリ押し「合理性」にもめげずに、道一本、大阪市にあることの「ケッタイ」さが、何となく微笑ましく感じられる今日この頃である。この「盲腸道」を道一本大阪市に帰属させた行政の判断を、なかなか愉快だと、さんぽ人は思う。

 ところでよくよく地図を見てみると、この「盲腸道」、どうやら阿麻美許曽(あまみこそ)神社の境内の参拝道から、真っ直ぐ延長されているようだ。神社がちょうど、大腸と盲腸の境目の役目を果たしているようでもある。

 やはり、この神社がらみの「慣習」が大きな理由であるようだ(ところで、この神社は当然、大阪市に属していることになるのだが、「あまみこそ」という名前から察すると、この地域の松原側の地名「天美」とつながりがありそうである。なのに、なぜ大阪市? 「世の慣習」というのは、確かに一見、不合理ではあるな)。

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■最後に

 行政行政と、行政の悪口みたいなものばかり書いてきたが、ゴリ押しするのは決して行政だけではなく、「現代」というシステムに生きる我々もまた、ゴリ押しする行政の一員であるのだ。それは、この「盲腸道」のように、ちょっと合理的でない市域の様子を見て、「ケッタイだ」と思うさんぽ人の心の中に、しっかり存在している。

 そう、我々自身が「合理性」「効率」の名目によって捨ててしまった「古くからの慣習」も数多い。

 ただ念を押しておきたいのは、この問題が、一方がよくて他方が悪い、といった性質の問題ではないということ。結局は、先にもいったように「天秤で量った際の軽重の判断」でしかないのだ。

 だから、我々が何かを選ぶと同時に、何かを失っているのだ、という自覚だけは忘れないようにしたい。

 おや? またまた話の内容が大げさになってしまったが、地図ひとつから、ここまで考えを発展させることもできるのである。それだけは、確かに言い切れる。

(1997年12月)


   
(C) 1996-2003 Takashi Tanei, office MAY