(Waters)
1944年
今まだ暗い 夜明け前の戦場
退却を願う兵士の上に
無常の司令が響く
「退いてはならぬ 奮闘の上
活路ひらくべし」
こうして死守したアンツィオ橋頭堡(注1)
無数の命と引き換えに
国王が贈った母への書状
父の戦死の証
今も覚えている 金縁の飾りが
ついた巻き紙
見つけたのは
引き出しの古い写真の中
国王のサインを思い出すたび
目頭が濡れる
まだ明けやらぬ冷えた大地に
戦車が火を噴く
大英帝国「C中隊」は
敵陣に孤立
残ったのは死体の山と
死にゆく者の吐息だけ
これが名高いあの作戦
父を奪った戦い
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解説と注釈
注1:第二次世界大戦終盤。北アフリカ戦線で勝利を収め、シシリー島上陸に成功した連合国は、その余勢を駆って南方より、イタリア半島へ進撃した。
順調に、ナポリまで進駐した連合軍だったが、ここが正念場とふんだヒトラーの檄もあり、イタリア駐留ドイツ軍も必死の反撃を加え、ナポリ北西のカッシノ近辺で戦線は膠着状態に陥ってしまった。
この状況を打開するために計画されたのが、「シングル(屋根板)作戦」である。
これは、ローマからほど近いアンツィオの海岸に米英軍を上陸させ、ドイツ軍を側面から攻撃、ナポリ方面から進撃する本体と合流し、一気にローマを陥落させる計画である。
1944年1月21日深夜、ナポリを出発した米英軍は、夜陰に紛れてまんまとアンツィオに上陸。24時間で約3万6千名の兵士を上陸させることに成功した。
しかし、ここからドイツ軍は驚異的な粘りを見せ、激しい反撃で上陸軍を駆逐。連合国は、アンツィオ以外の拠点を失ってしまう。
カッシノの本体も、依然、前進することができず、アンツィオはほとんど孤立状態に陥った。
このような状況下、連合軍は、なんとか4ヶ月間、アンツィオを守り抜き、後のローマ進撃、さらには「オーバーロード作戦(ノルマンディー上陸作戦)」へと戦局を有利に展開してゆくのである。
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