On The Turning Away


(Gilmour-Moor)

顔を背けて
見えぬフリをしてる
虐げられた人々を
この痛みの理由を
今こそ見つけるんだ
それとも見えぬフリして
生きていくのか?

影が生まれて
光を隠し
僕らを見えなくさせてく
荒れてゆく世の中に(注1)
気づかないまま生きる
誇りなくしたままに
孤独の中で

夜の翼で
声を伝えよう
沈黙の人をつないで
聴きなれない言葉に
君の心は動き
変革の風を知る
夜の翼で

顔を背けず
現実を見つめよう
凍えた心解き放ち
この地球を分け合い
みんな生きているんだ
夢に過ぎないのか
みんなが気づくって・・・(注2)

解説と注釈
ウォーターズなきフロイドは、主張が以前に比べ、かなりストレートだ。この曲も、社会の不平等から来る貧富の差や、社会的弱者を告発するプロテストソングと捉えるのが、一番素直な解釈なんだろう。とにかく、ストレートである。一時のディランでも、ここまでストレートなプロテストソングなんて、歌っていなかったのではないか?

この曲は、いい曲だと思う。88年の大阪城ホールでのコンサートでは、確か前半最後、休憩に入る前に演奏された記憶がある。
スモークとレーザー光線にが、月並みな表現だけど「幻想的」な雰囲気を作り出していた。今も目の奥に焼き付いている。

それにしても、この曲に関して「酷い」と思うのは日本語タイトルである。
「現実との差異」だって・・・
フロイドの曲なら、哲学や心理学の学術書の章題のようなタイトル・・・っていうステレオタイプの発想は、いい加減、止めて欲しいのもである。一般リスナーって、そんなにバカじゃないぞ。目くらましみたいなことをするより、そのまま原題を使えばいいじゃないか、と思う。あるいは、ちょっと変かもしれんが、「顔を背け続けて」とか。
「現実との差異」なんて、歌詞の内容の要約や象徴にもなっていない。まぁ、ここで怒ってもしょうがないかもしれんが。

注1:「Unaware how the ranks have grown」。
私の持っている日本版CDの歌詞カードでは、「公園がどうやって息づいたかも知らない」とされているが。 確かに「rank」には「植物が生い茂った」という意味があるが、どうか・・・。だいたい、「植物が〜」という意味の「rank」は形容詞だしね。それに「公園」という解釈がどこから出ているのかも不明だ。まぁ、私が知らないだけかもしれないが。
「rank」を素直に解釈すれば、日本語の「ランク」や「ランキング」でもおなじみ、「階級」とか「階層」という意味である。つまり「社会の階級差はますます大きくなっているのさえわからない」とする方が正しいと思う。
というか、これはたぶん「掛詞」なのだ。
「植物が〜」の「rank」は、「公園の草や花が息づいている」ということより、「草がはびこっている」という意味合いの方が正しいと思う。なぜなら、同じ形容詞としての意味合いに「いやな」とか「強烈な」という解釈もあるからだ。これは、歓迎されざる状態を表している単語だと思う。
従って、百歩譲って、CDの訳詞者の解釈を受け入れたとしても、正確には「手入れもされず、草ぼうぼうになっていることさえ気づかない」という方が正しい。
で、「誰にも見向きもされず雑草が生えるがままになっている場所」と、「誰も気に留めないまま、いつもなみか階級差がどんどんひろがっている世の中」を、「掛詞」として表現している、と解釈するのが、最も真っ当ではないかと思う。
ライナーノーツの、このような訳詞を見るにつけ、悲しく思う。聞き取り間違いによる誤解は、ある程度はしかたないだろう。間違いは誰にでもあるのだから。しかし、正確な原詩がわかっていながら、訳詞者の読解力のなさから、このような中途半端な訳詞にされるのは、作詞者にとっても失礼なことだろう。
「他山の石」としたい。

注2:「Is it only a dream that there'll be No more turning away ?(誰もが顔を背けなくなるっていうのは、ただの夢にしか過ぎないのか?)」。ちょっとレノンの「イマジン」が入ってるかも。
結構、ストレートなプロテストソング風に関わらず、全体的に「当たり」が柔らかいのは、たぶん、最後のこの一句が「腰砕け」の感じだからかも。